SOS (Part 1)
作成 : 2000年8月6日/更新 : 2023年11月2日
[Side 1]
1. SOS
(作詞 : 柴山俊之/作曲 : 花田裕之)

[Side 2]
2. Sunday (作詞・作曲 : 花田裕之)
3. Oasis (作詞 : 柴山俊之/作曲 : 花田裕之)

● 花田裕之 (Vocal,Guitar)
下 山淳 (Guitars,Keyboards,chorus)
灘 友正幸 (drums)
柞 山一彦 (bass)
発売日 : 1985年7月21日
12inch : COLUMBIA AF-7405
CD :
Columbia 30CA-1783
(『NEON BOY』とのカップリング)
配信版 : 無し (2023年現在)
Produced by Shozo Kasiwagi
A & R : Kozo Watanabe
Arrenged by The Roosterz
Sythesizer Programming : Banana Brothers
Recorded at Media Bum and Starship
Mixed at Starship
Engineers : Banana Brothers
Art Direction : Tomone Kaburagi
Photography : Manabu Yamanaka
Hair & Make : Miyuki Sano
Graphic Work : Toshiki Mochida
Performer : Mika Shinma, Koji Imuta
Special Thanks to IKEBE GAKKI,PEARL
1984年12月〜1985年3月

(安藤広一脱退)

 ア ルバム『φ』(1984年12月21日)を発表したルースターズは、翌1985年1月に新宿LOFTで2度目の7日間連続 ライヴ『PERSON TO PERSON II』を施行。2月には花田裕之Johnny Thundersと初共演を果たす等注目が集まる一方、安藤広一3月末をもってバンドからの脱退を表明(※1)と ころがここでさらなるアクシデントが。

(大江慎也、再度入院)

 3月15日@東映劇場 でのライヴ後、大江慎也が心身共に極限状態に陥り福岡の病院 へ入院。突然の出来事に動揺した他のメンバーは入院先までか けつけるものの、結局本人と大事な話し合いも出来ないまま、東京へ引き返す事に…。

 既に数ヶ月先までライヴやレコーディングのスケジュールは組まれていた。契約上の都合があるとはいえ、2度目の活動停止はバンドに とってマイナスでしかない。大江慎也のバンド復帰も目処が立たず予定は未定…。決断を迫 られた4人のメンバーはミーティングの末、4月前半のライヴを止む無くキャンセル(近畿・九州等)。以降は花田裕之がメイン・ヴォーカルをとる事でバンドは継続を決意する(※2)。

(4人編成で活動再開)

 4月下旬から4人編成で活動再開したものの、ライヴ会場では「大江慎也入院のため欠席」という貼紙があるのみで、ステージでメン バーから直接事 情が説明される事はなかったという(ファンの目撃談より)。そして1985年5月、雑誌やラジオ等で大江慎也脱退 が報じられる(※3)。書籍『words for a book』(著:大江慎也、小松崎健郎/2005年)で本人が 語っている通り、自分がルースターズを脱退した事実を報道で知り、大き なショックを受けたという・・・。

 カオスな状況の中、1985年7月には花田 ヴォーカル&4人体制初の12インチ・シングル『SOS』(本作)と前期のシングルをまとめたベスト盤『Collection 1980-1984』同時発売。『SOS』の表ジャケットには『DIS.』(1983年)以来メ ンバーの姿が久々に登場。大江不在を 否応無く意識させられる。ファンもメンバー同様に相当混乱したは ずで、事実を容易く受け入れられ るはずもなく。ここで抜け出すか最初まで引き返すか、試練や通過点と捉えて最後まで見届けるか…(こうして書くと何だかジプシーズの「Truckin'」 の歌詞っぽくな る)。大江慎也の休息期間は翌年4月まで続き、ルースターズは本作発表後も休む間も無く次のアルバム制作に取り 掛かります(次回『NEON BOY』へつづく)。
[補足]
 なお後期ルースターズ(1985年〜1988年)については下記の関連書籍もご参照ください。
『ROCKIN' ON JAPAN』(1988年9月号/下山淳インタビュー)
『ROCKIN' ON JAPAN』(1990年5月号/花田裕之インタビュー)

『ロック画報(17)』(2004年/大江慎也・花田裕之・下山淳インタビュー)

『レコード・コレクターズ』(2011年6月号/花田裕之・下山淳インタビュー)
[注 釈]

※1 安藤広一脱退 :
 1980年にルースターズのデビュー前後からスタッフとして関わったものの、成り行きでキーボード担当になり"ミュージシャン化"した自身に疑念を抱いた事や、
私生活上の変化等複合的な理由が重 なった結果と思われます。脱退は『φ (PHY)』制作中の1984年秋に内定。大江慎也入院直後の1985年3月26日、筑波29BARがバンド在籍時のラスト・ステージとなり、福岡へ帰省。ちなみに同年8月11日 @"Rock'n'Roll Olympic'85"ではThe Roosterzとアクシデンツの演奏にゲスト参 加。80年代後半から音楽プロデューサーに転身し、その他多方面で活動中。


※2 活動継続 :
 緊急ミーティング の段階で、一旦リセット的なバンド名変更や代役ヴォーカリスト案も出たようですが(註 : 「そうした話は出なかった」と言っているインタビュー記事もある)、他にいいバンド名も なく、大江慎也の代わりが務まる人がいるはずもなく…。

 花田裕之がメイン・ヴォーカル になったのは、唯一のオリジナル・メンバーというより、度重なる人員変動に辟易していた事、人間クラブからルースターズになる過程で ヴォーカリストが替わる場面を傍で見ていて、今度は自分にバトンが回ってきた…的な解釈をしたとのこと。

 一方で(周囲からの風当たりやファン離れを知りつつも)「道半ばでバンドを終わらせたくなかっ た。」「(大江は)そのうち帰ってくるだろう、くらいの気持ちで いたんですよ…。」という発言もあれば、(1983年以降)大江慎也とコミュニケーションが上手く取れなくなった事や、"ヴォーカリスト+その他大勢"的なバンドの在り方に不満を抱いていた様子も。ごくシンプルに、ギター・メイ ンのロック・バンドでいたかったようです。
(参考資料 : 『ROCKIN' ON JAPAN(vol.36 1990)』etc.)


※3 大江慎也脱退報道 :
 先に脱退を報じた雑誌は不明。というより、こちらの
リサーチ不足なだけ ですが…(汗)。果たしてバンド側 の声明は額面通りに報じられたのか、それともメディア側が大袈裟にデフォルメしたのか…。当時大江慎也に脱退の意思はなかったものの、体調の問題でいつ復帰出来るか本人も判らないうえ、メンバー間の意思疎通が取 れなくなった事も、ボタンのかけ違いのきっかけになったようです。この騒動以降、一般 的には"脱退"と云われるようになりますが、90年代以降にリリースされた一部のCD・DVD・書籍等では本人への配慮を兼ねて"休養"と表記されています。ちなみに東北の情報誌では 当時このように 報じられていました。

「もうご存知の通り、ルースターズの大江クンが入院した。入院のハッキリした原因は分からない。春の東北 ツアーは彼抜きでの公演となる(なった)訳だが(これを書いているのは4月20日)、彼がルースターズをやめた訳ではないので誤解のないように。」
(『Eazy On』1985年6月号より/資料提供 : マークさん/掲載 : 2015年1月27日)

CD
1 : COLUMBIA 30CA-1783 発売日:1987年9月1日

● 『NEON BOY』+『SOS』をカップリング
● 歌詞 : あり(ブックレットに掲載)
● インナー・カード(曲目表) : あり
● 裏ジャケットの復刻 : なし
● 解説書 : 元々なし
 初盤CDは1987年9月1日、『NEON BOY』とのカップリ ングで発売。アートワークは表ジャケットのみ復刻され、裏ジャケットは未掲載(80〜90年代の CDは洋・邦楽問わず、オリジナル・デザインの一部が省略されている場合が多い)。

 また、初回プレスの定 価は3,000円で、平成 or 消費税導入後、税抜&税込価格に変更されています(印刷部分の表記が変更されただけで、音の内容は同 じ)。
2 : 『Virus Security』TRIAD COZA-91〜122

● 仕様 : ボックス・セットの一部として収録
● 音源 : 2004年リマスター
● 盤 : 表ジャケットをプリントしたピクチャー・レーベル
● ジャケット : 表・裏共に付属ブックレットに掲載
● 歌詞 : 付属ブックレットに掲載
 2度目のCD化は、2004年発表のボックス・セット『Virus Security』にリマスターされ収録。12インチ・シングルのジャケット・デザインをミニチュ ア化した紙ジャケット付き。
『SOS』(Part 2/収録曲)Menu
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