SOS
作成:2000年8月6日/更新:2016年5月5日
[Side 1]
1. SOS
(作詞:柴山俊之/作曲:花田裕之)

[Side 2]
2. Sunday (作詞・作曲:花田裕之)
3. Oasis (作詞:柴山俊之/作曲:花田裕之)
花田裕之 (Vocal,Guitar)
下山淳 (Guitars,Keyboards)
灘友正幸 (drums)
柞山一彦 (bass)
Produced by Shozo Kasiwagi
A & R : Kozo Watanabe
Arrenged by The Roosterz
Sythesizer Programming : Banana Brothers
Recorded at Media Bum and Starship
Mixed at Starship
Engineers : Banana Brothers
Art Direction : Tomone Kaburagi
Photography : Manabu Yamanaka
Hair & Make : Miyuki Sano
Graphic Work : Toshiki Mochida
Performer : Mika Shinma, Koji Imuta
Special Thanks to IKEBE GAKKI,PEARL
発売日:1985年7月21日 12inch : COLUMBIA AF-7405 CD : Columbia 30CA-1783 (『NEON BOY』とのカップリン

[1984年12月〜1985年3月 : 安藤広一脱退と大江慎也の離脱]

 ア ルバム『φ』(1984年12月21日)を発表したルースターズは、翌1985年1月に新宿LOFTで2度目の7日間連続ライヴ『PERSON TO PERSON II』を施行。2月には花田裕之Johnny Thundersと初共演を果たす等注目が集まる一方、安藤広一3月末をもってバンドからの脱退を表明(※1)ところがここでさらなるアクシデントが。3月15日@東映劇場でのライヴ後、大江慎也が心身共に極限状態に陥り福岡の病院へ入院。突然の出来事に動揺した他のメンバーは入院先までかけつけるものの、結局本人と大事な話し合いも出来ないまま、東京へ引き返す事に…。

 既に数ヶ月先までライヴやレコーディングのスケジュールは組まれていた。契約上の都合があるとはいえ、2度目の活動停止はバンドにとってマイナスでしかない。大江慎也のバンド復帰も目処が立たず予定は未定…。決断を迫 られた4人のメンバーはミーティングの末、4月前半のライヴを止む無くキャンセル(近畿・九州等)。以降は花田裕之がメイン・ヴォーカルをとる事でバンドは継続を決意する。(※2)

 4月下旬から4人編成で活動再開したものの、ライヴ会場では「大江慎也入院のため欠席」という貼紙があったのみで、ステージでメンバーから直接事 情が説明される事はなかったという(ファンの目撃談より)。そして1985年5月、雑誌やラジオ等で大江慎也脱退が報じられる(※3)。書籍『words for a book』(著:大江慎也、小松崎健郎/2005年)で本人が語っている通り、自分がルースターズを脱退した事実を報道で知り、大き なショックを受けたという・・・。

 カオスな状況の中、1985年7月には前期のシングルをまとめたベスト盤『Collection 1980-1984』をリリース。さらに花田ヴォーカル&4人体制となって初の12インチ・シングル『SOS』(本作)も同時発売。表ジャケットには『DIS.』(1983年)以来久々にメンバーの姿が登場し、大江不在を否応無く意識させられる。ファンもメンバー同様に相当混乱したはずで、事実を容易く受け入れられ るはずもなく。ここで抜け出すか最初まで引き返すか、試練や通過点と捉えて最後まで見届けるか…(こうして書くと何だかジプシーズの「Truckin'」の歌詞っぽくな る)。大江慎也の休息期間は翌年4月まで続き、ルースターズは本作発表後も休む間も無く次のアルバム制作に取り 掛かります(次回『NEON BOY』へつづく)。


[注釈]

※1 安藤広一の脱退 : 成り行きでミュージシャン化した自身に疑念を抱いた事や、私生活上の変化等の理由が重なった結果と思われる。脱退は『φ』製作中の1984年秋に内定。大江慎也入院直後の1985年3月26日@筑波29BARがバンド在籍時のラスト・ステージとなり、福岡へ帰省。ちなみに同年8月11日@"Rock'n'Roll Olympic'85"ではThe Roosterzとアクシデンツの演奏にゲスト参加。80年代後半から音楽プロデューサーに転身。

※2 : 緊急ミーティングの段階で、一旦リセット的なバンド名変更や代役のヴォーカリスト案も出たようですが(そうした話は出なかったと言っているインタビューもある)、もっ といいバンド名も他になく、大江慎也の代わりが務まる人がいるはずもなく…。花田裕之がメイン・ヴォーカルになったのは、本人が唯一のオリジナル・メンバーというより、度重なる人員変動に辟易していた事や、人間クラブからルースターズになる過程で ヴォーカリストが替わる場面を傍で見ていて、今度は自分にバトンが回ってきた…的な解釈をしたとのこと。一方で(周囲からの風当たりやファン離れを知りつつも)「道半ばでバンドを終わらせたくなかった。」「(大江は)そのうち帰ってくるだろう、くらいの気持ちでいたんですよ…。」という発言もあれば、(1983年以降)大江慎也とコミュニケーションが上手く取れなくなってきた事や、当時の"ヴォーカリストとその他大勢"的な在り方に不満を抱いていた様子も。単純にギター・メインのロック・バンドでいたかったようです。(参考資料:『ROCKIN' ON JAPAN(vol.36 1990)』etc.)

※3 大江慎也脱退報道 : 先に脱退を報じた雑誌は不明。というより、こちらのリサーチ不足なだけですが…(汗)。果たしてバンド側の声明は額面通りに報じられたのか、それともメディア側が大袈裟にデフォルメしたのか…。当時大江慎也に脱退の意思はなかったものの、体調の問題でいつ復帰出来るか本人も判らない事以外に、メンバー間の意思疎通が取れなくなった事も、ボタンのかけ違いのきっかけになったのでは…。これ以降一般的には"脱退"と云われるようになりますが、一部のCD・DVD・書籍等では配慮を兼ねて"休養"と表記されています。ちなみに東北の情報誌では当時このように報じられていました。

「もうご存知の通り、ルースターズの大江クンが入院した。入院のハッキリした原因は分からない。春の東北ツアーは彼抜きでの公演となる(なった)訳だが(これを書いているのは4月20日)、彼がルースターズをやめた訳ではないので誤解のないように。」(『Eazy On』1985年6月号より/資料提供:Mさん/掲載2015年1月27日)

CDに ついて
a : COLUMBIA 30CA-1783 発売日:1987年9月1日
◎1987年9月1日に『NEON BOY』とのカップリングで発売された初盤CD。アートワークは表ジャケットのみ復刻され、裏ジャケットは未掲載。また、初回プレスの定価は3,000円で、平成or消費税導入後のプレスから税抜&税込価格に変更されています(印刷部分の表記が変更されただけで、音の内容は同じ)。
b : 『Virus Security』TRIAD COZA-91〜122
2004年発表のボックス・セット『Virus Security』の一部としてリマスター化され収録。12インチ・シングルのデザインをミニチュア化した紙ジャケット付き。

1. SOS (作詞:柴山俊之/作曲:花田裕之)

  花田裕之がメイン・ヴォーカルになってから最初に発表された曲。『φ』からダークな雰囲気を排除し爽快なポップさが前面に出た印象で、モロに80年代なシンセ・サウンドも相まって、正直なところ聞き手の好み が分かれるかも…。歌詞はスラングめいた言葉や、タイトルからして当時のバンドの状況のようにも思えたりと色々解釈可能ですが、曲自体は大江慎也在籍 中に書かれていたようで、大江慎也脱退報道前からライヴで披露されています。ちなみにスタジオ・テイクは柞山一彦がレコーディング初参加、下山淳がキーボードを兼任したほか、ノー・クレジットでCLANから下山アキラとDADAがコーラスで参加。

◎別ヴァージョン/テイク:

a : Live Version (1985/8/29)

 1985年8月29日@新宿LOFT"Person To Person III"でのライヴ・テイクで、PA OUTから録音されたカセットがAB面の切替と重なり不完全での収録。この時の演奏メンバーは花田裕之(g,vo)/下山淳(g)/灘友正幸(d)/ 柞山一彦(b)+木原龍太郎(k/Blue Tonic)。2004年発表のボックス・セットで初CD化。
(収録作品)
『Virus Security』(ボックス・セット/2004年)

小ネタ1 : レコード発売前のライヴでは全く別のイントロで始まり、サビの「気分はますます ブルーブルーブルー こんな気持ちノーノーノー」の一節が含まれていなかった。(情報提供:Kさん、Hさん)
小ネタ2 :
2005年8月22日@新宿・ロフトプラスワンで行われたトーク・イベント『Respectable Roosters Vol.5』で、大江慎也がこの曲と「Broken Heart」の一節を混ぜて歌う場面がありました。
小ネタ3 :
2009年10月4日@前橋・Cool Foolで行われた花田裕之のソロ・ライヴ"流れ"のアンコールで、当日出演したストレンジパイとのセッションでこの曲を再演し ています。(掲載:2009年11月23日/情報提供:Tさん)


2. Sunday (作詞・作曲:花田裕之)

 花 田裕之の単独作品としては初の曲で、物哀しい曲調が印象的。ちなみにレコーディング前のライヴではアレンジが全く異なり、英語詞でビートの効いた スタイルでした。ところがレコード発表後さらに変化し、打ち込みのシンセ・サウンドが目立つアレンジに変更。このレコードと同じスタイルでのライヴ演奏は 行われていないようです。


3. Oasis (作詞:柴山俊之/作曲:花田裕之)

  どことなく80年代ネオ・アコやThe Police「Every Breath You Take」辺りに通ずる雰囲気の作品で、ライヴでは1985年8月〜12月の短期間のみ演奏(余談:消されなければここで チラッと聴けるかも)。この12インチ以外ではボックス・セットと『NEON BOY+SOS』でしか聴けないため、知名度は相当低いと思われます。が、その後、花田裕之と下山淳が2012年6月2日と2014年5月23日に長野ネ オン・ホールでアコースティック・ヴァージョンで演奏したほか、2015年6月19日@下北沢GARDENと2016年1月20日@渋谷duo MUSIC EXCHANGEではThe Roosterz(花田裕之/下山淳/穴井仁吉/三原重夫/木原龍太郎)での再演が実現しています。

『Neon Boy』へつづく。
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⚪️1985年7月頃に音楽雑誌に掲載された『SOS』の広告。
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